top of page

2026年6月19日

遠山隆重理事長のご報告 決算速報とコース改修史

大阪平野、大阪湾、明石海峡が一望の絶景ゴルフ場を創った上田治


―名匠上田治、ロバート村島、加藤福一から学んだ遠山隆重のコース改造史― 

箕面ゴルフ倶楽部

理事長 遠山隆重

箕面GCは昭和33年に着工した。しかし上田治が山に描いた図面だけでは不十分な事態が生じた。国定公園の線引きがなされ大幅な修正が求められたが、藤田組のロバート村島部長は上田治の指導を受けて現場責任者として工程を組み直し、資金のやり繰りをして見事に完成に漕ぎつけた。


岩層地盤の難工事だったゆえに難コースとの烙印が払拭できなかった箕面GCは、第二次ゴルフブーム時に中国縦貫道の開通によって新設された86コースの追撃を受け、営業対策としてコース改造を行い、ロバート村島がやり残した岩盤層への挑戦を創業者から引き継ぎ、更なる拡幅に挑戦した。


コースが農業用貯水ダムを囲む硬岩層ゆえ、外部業者への発注では予算的にも難しく、資金・人材・気象に応じて、上田治が絶景コースになるとした存念に沿って、臨機応変に自らが現場で適宜修正し、岩層と妥協しながら手作りで乗用カート道造成、ワングリーン化、ティー5面化を行った。


上田治の6,640/6,415yrds設計は、ロバート村島の改変で6,515/6,160 yrdsとしてオープン、遠山利三は上田治の理念に寄り添って、昭和37~45年に2番など岩盤を発破し4m切り下げるなど延伸したが、その後、私はティー5面の6,691/6,217/5,678/5,457/4,888 yrdsに改修した。


箕面GCは40周年の平成13年に民事再生、50周年の平成23年に再生を克服して、ゴルフ需要が低迷の中で私自身が経費節減しながらコース改修し終盤を迎えた。ここにクラブ65周年史の一端としてコース改造記録を残し、より良きクラブ創りの方向に向けて心を寄せ合う縁(よすが)として頂きたい。


(創業者遠山利三と上田治設計士)


遠山利三は名古屋の繊維商社遠山産業の専務大阪支店長として32歳で米国に出張した時、ゴルフ場での会食に招待され、地域社会でのカントリークラブの役割に感銘しゴルフ場経営を思い立った。昭和33年に茨木CCに入会し、茨木CC後背地の五月山を絶好地として狙いを定めた。


設計は地元茨木市出身で京大出の上田治に依頼した。千里丘陵でのニュータウン計画や万博開催が取沙汰されていた絶好機でもあり、上田治は遠山利三と緑に囲まれた3ヶ所の池を囲む開発予定地を踏査し「眼下に絶景を得た自然に囲まれた英国風のゴルフ場ができる」と太鼓判を押した。


上田治は生涯に53コースを設計したが、その16番目のゴルフ場として箕面GCの山取り図面を描き、現在でも、名匠が描いた通り六甲山、神戸市内、大阪湾、明石大橋、淡路島、友ヶ島、生駒山、大阪都心など大パノラマが1、2、4、5、7、8、9、10、14番ホールなどの眼下に広がる。


(ロバート村島による設計変更)


池田CCはクヌギ畑ゆえ順調に工事が進んだが、箕面GCは硬地盤で工事が難渋し、そのうえ国定公園との境界線引き、池田CCとの土地交換などのトラブルが重なり、上田治は藤田組の現場担当のロバート村島を指導して事態を収拾し、目標とした箕面GC池田CC同時オープンを達成させた。


藤田組の土木部長であったロバート村島は、箕面GCの工事実績で業界での評価を得て、その後も昭和53年の三木よかわCCの設計に至るまで、我が国で17コースの設計を担った。現場に即応した設計技術が買われ、伏尾GCの設計にもフジタ&ロバートコンビが関与した。


遠山利三はロバート村島には敬意を表しながらも、上田治への回帰を目指し、1番、3番グリーンの拡幅、昭和45年には2番フェアウェイの発破平坦化、10番グリーン法面の緩和、15番谷のウォーターハザード化などの改良に励み、開場10周年を記念してのプロトーナメントの開催を目指した。


(ダンロップオープントーナメントの開催)


遠山利三は開場10周年記念として、ダンロップ大西久光の企画により、我が国ではじめてのスポンサー主催トーナメント「ダンロップ・オープン・トーナメント」を昭和44年から4年間連続して開催し、全国ネットでテレビ放映した。


テレビ放映などから箕面GCは山岳難コースと風評されたが、一方、前田利光プロは多くの人材を育て、なかでも小柄な井戸木鴻樹は正確なショットで全米シニアプロの栄冠にも輝いた。またアマチュア界でもオリムピックGCを創設した大川清が日本アマで栄冠に輝くなど名選手を輩出した。


昭和47年の第2次ゴルフブーム時に中国自動車道が開通し吉川周辺に86コースもの平坦で距離があるゴルフ場が次々に誕生、104コースしかなかったゴルフ場が190コースにまで増加し、箕面GCも来場者と入会者を確保するため、コースの改造を迫られる情勢となった。


(池田CC、箕面GCの二世交流)


私は昭和21年に豊中市で生まれ父親同士がマージャン仲間だったことなどから大野病院の第3代院長に誘われて池田附属小中に入学、豊中高校で学んだ地元人である。昭和54年7月に三井物産から箕面GCのゴルフ場経営に転身し、民事再生の申請に伴い平成12年に第2代社長に就任した。


私の弟は京大工学部の在学中にジャズピアノの演奏過労で昭和40年に早逝したが、弟と池田CC2世社長とは附小中時代からの大親友であった。荒木と大野が姻戚にあたることもあり、地域周辺に多くの縁もあって、故郷のゴルフ場への転身にはなんら違和感も抵抗感もなかった。


遠山利三にも問題が生じた。母体の遠山産業からコースの底地を買い上げ本家から独立することとなり、資金作りのため、昭和47年以降に箕面GC追加募集、マリーナ、牧場事業などを展開した。私は、箕面GCが100%社有地となったため、ゴルフ場事業に特化してその後の安定化に努めた。


(箕面GCのコース改造史)


第1期コース改造 谷埋めとコース横断道の撤去 


箕面GCは関西地区316コースのなかで38番目(全国で158番目)に誕生した古参ゴルフ場で、激増した新設ゴルフ場が近代的なコースコンディションで順調に集客し高額での会員募集するなか、箕面GCは対応が遅れ、来場者数、入会者数に影響が出た。


文系の商社マンであった私は、海外でのサラリーマンゴルフの嗜みしか無かったが、経営する立場に立ってみると、スポーツ施設としてのゴルフ場と、ステータス志向ゴルフ場のニーズのギャップが極めて大きいことを思い知らされ、スポーツ施設としてのゴルフ場経営に徹してコースを考えた。


特にスタートホールの重要性はクラブの命運を決すると実感した。当時の箕面GC1番ホールはいきなりのプレッシャーホールで、「快心ワクワクより心臓ドキドキ!」と揶揄され、10番ティー前も深い谷で150ヤードの杉林越えができなかったらOBになった。


スタートホールからのミスはアベレージゴルファーの一日を台無しにするので、まずは爽快感を提供しようと考えた。それで10番ティー前の谷埋めを提案したが社内外から反対があり、元土建会社代表だった木本キーパーから俄か学問ながら土木技術を学び、中型ユンボを調達して工事を強行した。


また、アスファルトにボールが跳ねての不測のOBが出ないようにコース横断舗装道の撤去を行った。順を追って2→3→9番,4→8→7番、14→17→18番の舗装道を撤去したが、13番グリーン周辺は未完である。


第2期 管理道増設と部分カート経路の敷設


横断舗装道撤去の一方、新設も行った。3、5、7、12、13、14、17番の斜面を切り盛りしてコース管理道を造成、17番ティーショットが18番へ打ち込まれる打球事故防止のため、18番の谷を埋めて管理道を造成する大工事も実施し、残土で第二駐車場の嵩上げ造成も行った。


登坂ホールの疲労軽減のためループ循環方式の乗用カート道も造成した。高齢会員より部分ループ式にて乗用カートを導入して欲しいとの要望を受け、特に1→2→3番、14→15番の登坂レールを管理道の造成を兼ねて敷設したが、好評をえて、私の改造工事計画は徐々に認知されるに至った。


第3期 コースのアップダウン個所の緩和


遠山利三も発破などでコース改造に尽力したが、なおIPポイントからブラインドとなるホールがあり、17番サブグリーン左山を切り落として広々としたフラットコースに改修、7番ティー右山を掘削して、ティー前の谷を埋めてフラット化し、グリーンを右サイドに振ってブラインドを解消した。


次に、箕面GCの最大の難所である馬の背14番の登り斜面の岩盤を切除する大工事に着手した。14番は硬岩床で約7~8mの掘削は難渋し、コンマ7の大型ユンボを調達し、五洋建設OBの現場監督の経歴がある資格技術者を得て挙行したが、工期が長引き会員からのクレームも噴出した。


第4代前田博彦理事長、第5代垣口哲朗理事長などから温かく改造プランを理解賜り、14番の掘削残土を14番→15番→16番の谷埋めに活用したことからインコースのOBゾーンの縮減がなり、幅広くなったコースの仕上がりに大変満足して頂けた。


第4期コース改造 奈良柳生を設計した加藤福一設計者の箕面GCへの助言


遠山利三は昭和60年に箕面GCの30周年事業として奈良柳生CCの事業を計画した。箕面GCの創設は千里ニュータウン計画の国家事業を受けての地域振興であり、今回の奈良柳生CC計画は関西学研都市計画の国策に沿った組み入れを図った需要に寄り添った計画であった。


遠山利三は奈良柳生CCの設計を旧知の加藤福一に依頼。加藤福一は、元茨木国際GCの支配人で、全国で21コースの設計を手掛けており、昭和40年代には頻繁に箕面GCに来場してコース事情を知り尽くしており、私の箕面GCの改造計画にも具体的なアドバイスを数多く受けた。


加藤福一の最優先はコース管理道の整備。指摘された箕面GCの造形個所をユンボで捲ってみるとやはり硬岩床が現れた。途中で掘削を断念して埋め戻した「ためらい傷」である。指摘個所の修正は上田治の原設計に戻るとの考えから、ためらい岩盤を掘削してコースの拡幅を行った。


加藤福一には現場に腹心の桜庭シェーパーがいた。奈良柳生の工事も72歳の老齢を圧して土日も休まず愛犬を連れてブルドーザーにのり、変更箇所は電話だけでも話が通じていた。加藤福一と図面では表現できない遠近感、高低感からの修景を語り合い解り合っているのを目の当りにした。


桜庭シェーパーは、時折重機から降り、愛犬と共に作業場所を離れ、遠方よりプレーヤー目線で造形個所の高低測、歩測を行っていた。尺取りは図面を越えて正確で、現場で体感しながら重機を動かしていた。まさしくコース改造は現場に立たねば成し得ない、彫刻家さながらの仕事だと学んだ。


第5期 全ホール乗用カート路敷設


奈良柳生CCの造成は、土質がよく加藤福一は「砂山を撫でるように工事が進んだ」と7,150ヤードのチャンピオンコースに仕上げてくれたが、私は加藤福一の助言のもとで箕面GCの改造に傾注していた。しかし途上にバブルが崩壊し、奈良柳生CC事業が突如として暗礁に乗り上げた。


箕面GCの再建にあたっては、預託金ノーカット、乗用カート導入、ワングリーン化、5面ティー化が再生要件となり、資金不足を補うため、ジェネコンの協力にて新御堂筋トンネル工事で出てくる残土や彩都ニュータウン造成残土などを受け入れ、私自身もユンボ、ブルに乗って造成を実行した。


建設残土受け入れに際しては、初代支配人室谷力男の「当初の上田治設計案は標高の高い4番を切り落として5番の谷に埋めるものだったが、土地交換が遅れ仕方なく4番は今の高さでそのまま芝張りしてオープンに間に合わさざるを得なくなった」との伝承に従い、原点に戻す作業を優先した。


5番の谷を埋めることは上田治の設計に戻すことでもあり、建設残土を受け入れは、民事再生に必要な資金を調達できることにもなった。5番のコース全体を嵩上げして乗用カート路を敷設し、雄大なロングホールとなったが、バンカー位置、FW幅などは原設計に忠実にもどした。


5番の工事中に、残土の山が割れ乗っていたユンボが3回転半横転落下したが九死一生を得た。大手土木会社の陰の支えも得て順調に建設残土の受け入れ、5番造成の流れに乗って5番、6番、7番の8番の改造、10番、練習場、第3駐車場の造成も行うことができた。


第6期 全ホールワングリーン化、5面ティー化


ベントワングリーン化には20年を要したが、最後に残った11番グリーンも令和7年に完成した。池越え地蔵をティー横に移設したときには会員の退会騒ぎもあったが、現在はその位置にゴールドティー、シニアティーを新設、これにて全ホールのベントワングリーン化、5面ティー化が完成した。


乗用カート道は民事再生時に短期間で安価な方法で自社施工したため、経年劣化し危険個所も散見されるゆえ、セルフ化対応を兼ねて5~7番の350mのルート変更、7番のフロント及びレディースティー拡幅、2~3番、4~5番カート道舗装、13番、1番カートルートの切り替えも行った。


カート道改修に並行してシニアティーの増設もすすめ、3、4、7番にシニアティーを増設、また7番バック、レギュラー、フロント、レディースティーの30%拡幅を行った。一応はこれで(6,691~4,888ヤード)の改造が一段落し、老若男女、万人が楽しめるスポーツ施設になった。


今後も2番カート道の安全化、11番斜面緩和対策、13番舗装道撤去、16番ゴールドティーへのカートルート、17→18番カート下り坂路劣化対策、18番橋梁対策、など、改善個所は山積するが、コース改良意欲が、クラブへの将来を期待して頂き、再生以降の入会件数も2,313名に上った。

以上


箕面GC第14回抽選償還会が行われました


箕面GC67期及び奈良柳生CC37期(~2026.5)決算の結果、6月2日に箕面GCにて大14回の抽選償還会が開催されました。浦田和栄弁護士、加藤俊明弁護士立会いの下、参加した会員が直接に抽選箱から2,400万円に至るまでの番号札を引きました。


29名の当選が弁護士によって確定されましたがドラマもありました。M会員は再生直後に市中で会員権を17万円で取得し、25年間在籍した後に200万円償還を引当てました。N会員も23年在籍して昨年に退会申請し直後の本年抽選会で200万円を引当てました。


民事再生したゴルフ場だから紙屑になったとお諦めの会員未亡人の200万円券も当選、委託金ノーカットで再建に挑戦したことが好感され、再生以来の箕面GCの名器変更件数2,303件、奈良柳生1,426件と順調な入会に支えられ、在籍者年齢が若返りました。


抽選実施の14年間で合計3億3,600万円(テニス・ヨット含む)の償還を実行しましたが、箕面GC会員分は2億3,189万円(282名)で平均額面は82.2万円でした。奈良柳生CCは年間1億円の減価償却費の負担が重く、黒字計上できず抽選償還は行われていません。


償還の実施により、箕面GCの会員数は、正1,407枚、週日107名、婦人31名、平日237名、永久39名の合計1,821名、奈良柳生CCは永久債627名、償還債590名、婦人20名、親子15名、グランド31名の合計1,283名と適正水準を維持しています。


箕面GCの67期は、来場者35,270名(前年35,072)、売上高379百万円(同387)、営業利益71百万円(同47)、名義変更92名(同86)、奈良柳生CCの37期は、負債勘定としての償還債会員権46.6億円、資本準備金勘定としての永久債会員権は50.2億円となりました。


引き続き縮小する市場環境に対応して経済縮減に努め、2011年の箕面GC297百万円、奈良柳生CC894百万円の有利子負債合計1,191百万は、2026年には箕面GC272百万円、奈良柳生344百万円の総額616百万円へと、15年間で半減させることができました。

以上

bottom of page